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桃とラベンダー

天使の粉だけ 食べて生きるの

これはつまらんお尋ねですね。言葉というものをあれほど軽んじ、一切の見せかけを遠く踏みこえて、本質の深みへ迫ろうとなさる先生としては。

日記
はてなダイアリーはどこまで長いタイトルを付けられるのだろうか?)
 
 
 
 
 
 
 

毎週楽しく見ているスクール革命、今週のテーマが名前の雑学だったんだけど、桃智桜五郎丸さんの名前について取り上げたときにケンコバが「嗣永桃子ちゃん!」とちゃん付けしてくれたところが嬉しくて(その後に山崎が「ももち?」って聞き返したことも込みで)そこばかり何度もリピートしています。こんにちは。

 
 
 
 
最近ひとの呼び名について考えている。というか、よく苛々してるの、何でだろうと思って。わたしが。

こんなことを唐突にぼやくくらい、最近呼び捨てが嫌いで。でも呼び捨てする人みんなが嫌なわけではなくて、なんだろうなぁ?っていう気持ちがまとまりきっていないまま上記のようなことを言ったんですけど。つまり「わかるから」とか言ってる癖にたいしてわかってない。ただ何となく、嫌だなって思うことがよくある。呼び捨てすることが必ずしも悪意的であるとは思わないし、そもそもわたしは上で山崎弘也を山崎ってがっつり呼び捨てにしているわけだけど、わたしは世にザキヤマというニックネームが浸透するずっと前から山崎って呼んでるしずっと前からずっと好きだし……言い訳はたくさんあるけど、とりあえずわたしはアンタッチャブルのことがずっと好きだということだけ言う。つまり呼び捨てが悪いんじゃなくて、その呼び捨てに愛があるかどうかを勝手に邪推して、嫌だなって思う。そういう癖がわたしにはある。その人の愛着がどの程度かなんてわたしにはよくわからないのに、普段の言動やプロフィールなどから安易な邪推をしてわたしはよく怒る。

わたしは本当にすぐ怒るので、つぐながさんのことを「嗣永が」と呼び捨てにしたのを見た瞬間にカッとなって、結構長い間相互関係だったフォロワーをリムったことがある。そのときの文脈は確かに悪意的だったと思う。もはや覚えていないけど、確かその人は桃子(というかBerryz工房)以外のアイドルが好きで、その背景があってより苛々したんだと思う。もはや全然覚えていない。ただ、呼び捨てされたからリムったという記憶だけ残っている。わたしはよくカッとなる。桃子、と呼び捨てにするのは全然いい。むしろ好き。河合は、って呼び捨てにされているのを見るのもあんまり好きじゃない。というか、河合って呼び捨てにしている人とあんまり気が合わなかったから、その後付けかもしれない。自分の好きなグループの子には必ずさん付けや君づけをするのに、テレビで見た塚ちゃんのことを「塚田は」って言う人のことも嫌だった。ここまで書いて思ったけど、名字の呼び捨てが嫌いなのかな。でもわたしは山崎のことは山崎って呼ぶ。ちなみに、たまに見かける戸塚さんのことを戸塚祥太ってフルネームで呼ぶあれは何だか戸塚さんが標本にされているみたいで背筋がぞくっとする。嫌とかそういうわけじゃなく、不思議な感じがする。でもあれは戸塚さんへの好意の表象だと思ってるから、不快ではない。わたしが文字上で「かわいくん」とひらがな名字さん付けに拘って河合郁人さんのことを呼ぶのと同じことだと思う。違ったら申し訳ない。

要するにわたしが一番好きなものを一番には選んでいなくて、そういう人たちがわたしの一番好きなものを乱暴に引っ付かんでいるような気がして、だから嫌なのかもしれないなと思う。

好意の無い呼び捨ては嫌だ、と思う。好意の有無、程度を勝手に邪推して、「わたしが好きなものをちゃんと大切にしてよ」という傲慢な思いからきっと来ている。きっとあと数年したらそういう気持ちもなくなる。なにかを好きになるというとき、本来ならその対象と自分だけが存在していればいい関係のなかで、どうしてわたしは他者を持ち出して一喜一憂するのだろう。よくない。

 

 

 

何となくだらだらと思うことを書きたくなったので書いておく。結局何が言いたかったかって「嗣永桃子ちゃん」って、ちゃん付けしてくれたケンコバのことがまた好きになったってことだった。