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桃とラベンダー

天使の粉だけ 食べて生きるの

ヴァレンティンに存在意義を持たせるためだけのブログ

俺の胸には、あぁ、二つの魂が住んでいて、それが互いに離れたがっている (中公文庫第一部p79)

 

ゲーテファウストにおけるファウスト博士は自らの二面性を理解し、このように吐露しています。欲望と理性、現世への執着と神秘への憧れ。相反するものを内包するのはファウスト博士が人間である証拠です。一方で、悪魔メフィストフェレスもまた自分を「常に悪を欲して、しかも常に善を成す、あの力の一部分です」と紹介するので、ゲーテの描く悪魔メフィストフェレスキリスト教世界の悪魔とはまた違った、複雑な存在なのかな?と思います。だからこそ魅力的な存在です。そしてそれは人間も同じくです。二面性を表現することは、人間を描く上で避けられないテーマであるかもしれません。
 
 
 
唐突ですが、わたしは舞台ファウストのヴァレンティンが好きです。ゲーテファウストでも手塚ファウストでもまんがで読破ファウスト*1でもなく、舞台ファウストのヴァレンティンだよ!なので今日はヴァレンティンの話をします。今までで一番妄想です。ヴァレンティンはとても頑張っていて素晴らしかったので報われてほしいという想いだけで書き殴っています!!ということでもう一度言います、わたしはヴァレンティンが好きです!
 
特に初演の、何不自由無く育ってきたがゆえに善良で、家族想いであり、哀れな罪人にも慈悲の心を持ち、けれども傀儡の王の息子であるヴァレンティンもまた大臣達の言いなりになるしかなく結果誰も救うこともできない。そんなあまりにもテンプレ設定の王子様がとっても好きです!だってかわいいんですもん。かわいくてかわいくて可哀想で。
物語の序盤では結局自分の正義を貫けなかった彼は、突然現れたハインリヒという男に悪魔の影を見ます。そして「ヘレネを連れて帰ればマルガレーテとの結婚を許す」とハインリヒが国王に言われてから、露骨にハインリヒ=ファウストを敵対視するようになります。
何不自由無く育ってきた王子様は、そのまま大人しくしていれば国王様になれるはずでした。そしてその余裕が彼に善良さを与えていました。けれど悪魔と契約して「国王になる」と願ったファウストは、善良な王子様からあらゆるものを奪おうとします。地位も権力も、そして大切な妹の心もです。
奪われるかもしれない、自分が持っていたものは当たり前のように持ち続けられるものではない、それは掌から簡単に零れ落ちてしまうかもしれないのだと気づいたときに、人は失いたくないという強い想いを持ちます。それは欲する気持ち、欲望です。ファウストに全てを奪われるかもしれないとなったときに初めて、ヴァレンティンは自らの欲に火をつけ、そしてそれを持て余したまま彼はクライマックスでファウストに対峙します。父を殺し妹をたぶらかし国を傾国に導く「悪魔」を打ち倒すのだという大義名分に縛られ自分の欲と向き合うことのなかったヴァレンティンはファウストを「悪魔」と呼ぶことを止められず、結果自らの欲望と向き合った上で決断したファウストの剣の前に敗れます。

初演ファウストにおいて、初めから全てを持っていたヴァレンティンは、物語のなかで全てを手に入れていくファウストの対比のために置かれ、そして最後には全てを失い孤独に死んでいく、可哀想な王子様。物語においてファウストと対等な存在ではありませんでした。それでもわたしは、箱入り王子さまで何もせずに順当にいけば国王になれるはずだったのにファウストが現れてかわいい妹の心を奪った上に地位まで脅かそうとする現実に直面して、平和に生きてきたが故に優しい王子様が欲に負けて悪い顔に変わっていくところが好きだったのです。あと、そんな風に人を狂わす、ファウストが本当に罪だったし、それを演じるのがかわいくんっていうのが~~~!!!なんていう説得力、傾国の美人、河合郁人……!!!

 
 
 
話がそれました。ヴァレンティンが好きって話でしたね。かわいくんが美人なのはわざわざ言わなくても世界の真実でしたよわたしったら。
 
 
 
 
 
さて、再演のヴァレンティンのお話。再演ファウストのヴァレンティンは初演とはかなり設定が異なっています。
侍女のアマルに対して優しさ*2を見せるなど基本的には善良な王子様ではありますが、追加された新設定により「血の繋がりの無い妹マルガレーテを女性として愛する一人の男」であるとされています。
わたしはこの設定に最初ものすごく嫌悪感を持っていたのですが(陳腐だから)、けれどファウストがマルガレーテの兄であるということ(わたしが勝手にこじつけていたところ恐らく作家側からより多くのヒントを得ているであろう玉置さんも同じように考えて演じていたというし、ということは散々話し合ったであろうつまりかわいくんもきっとそう思って演じていたに違いないのでこれはもうそういうことでよろしいな)を考えると、ヴァレンティンの設定で変更された箇所は、ヴァレンティンとファウストを二項対立にするための条件のひとつなのでは、という考えに至ったのです。つまりこの物語を兄と妹の話にするための条件ということです。
 
ファウストは庶民でありもっというと重罪人です。見目麗しい王女マルガレーテに一目惚れをし恋心を抱きますが、やがてその感情は一度目の人生で昇華しきれなかったものを含め、後悔や罪悪感を内包した複雑なものへと変質していきます。終盤で彼が語るマルガレーテへの愛は「君への罪を償うよ」とあるように、もはや単純な恋愛感情ではありません、そして再演ではそれを強調するように、ファウストは「君をお妃として迎えに来た」と言わないのです。初演でファウストは二回「マルガレーテを后に」と言っているのに対し再演では一度もそうした発言をしていないのは、二人の関係は結婚によって結ばれる関係ではないということを指すのでしょう。
ヴァレンティンは王子様です。恐らく彼が幼い頃にメネラス国王がまだ幼かったマルガレーテを拾ってきたものと思われます。国王が「娘欲しさ」にマルガレーテを拾ったのは、本編での彼の態度からすると政争(金策)の道具として利用するためでしょうが、幼いヴァレンティンはきっと新しくやってきたかわいい妹を大事にしたに違いありません。母を亡くし、身内といえば父親としての愛も満足に与えてくれない国王だけの彼にとって、マルガレーテは唯一の存在となっていきます。きっと大切に愛したに違いないのです。*3そしてその愛は、やがて美しく成長していった少女を前に恋心へと変わります。家族の情と、哀れな少女への憐憫の想いと、そして己の欲とが混在した複雑な恋心に。
しかし彼は己の立場もよく理解していますから、マルガレーテに自らの想いを告白することなくここまで来ました、このままの関係を続けていれば少なくとも兄妹として近い関係ではいられるのですから。時が来れば、いつか想いを告白すればいい。今はまだそのときではない、そう思っていたのかもしれない。
けれどそこにファウストが現れます。ファウストとマルガレーテは運命の相手同士、魂で引かれ合う二人を見てヴァレンティンは動揺します。自分の唯一の存在が、どこの馬の骨とも分からぬ男にかっさらわれるかもしれないという事態に直面したとき、彼は露骨な嫉妬でもってファウストを排除しようとします。しかしその結果、ファウストにはチャンスが与えられマルガレーテには処刑の危機が迫ります。
(恐らく国王はマルガレーテを本気で処刑する気はなかったのではないかとも思うのですが、一方で政争の道具として使うはずだった娘が役立たずになってしまったので、それを別の有意義な使い方で使う*4という発想はわからないでもない)
愛するマルガレーテを守りたい一心で父メネラス国王に訴えるも一蹴されたヴァレンティンは、ファウストへの憎しみや苛立ちを募らせる一方で、けれどマルガレーテを救うにはファウストヘレネを連れて戻らねばならないという現実に葛藤し、結局彼はファウストを置いてこの場面は退場します。このとき彼は己の無力さを呪い、そしてその想いは二幕冒頭でのクーデターに繋がるのです。
二幕冒頭、彼は国王のマントを身に纏い下品に笑います。国王のマントはこの物語において権力の象徴として存在します。ファウストヘレネ捕縛を命じたのもマルガレーテの処刑を命じたのも全て国王の権力です。己の欲=マルガレーテへの愛を成就するために必要なのは権力であると悟ったヴァレンティンは「己の欲に目が眩み、国を奪おうとし」たのです。
そしてクライマックス、ヴァレンティンはファウストと一対一での決闘をしますが……、彼の末路は舞台をご覧になった方はご存じかと思いますが、このように振り返ると、再演ファウストにおいてヴァレンティンは初演の甘ちゃん王子様とは全く別の役割が与えられていることがわかります。
 
そして、前回書いたようにファウストが国王になると願ったのもまたマルガレーテのためです。マルガレーテにもう一度会うため、そして彼女を「今度こそ」守るため、ファウストは国王になるのだとメフィストに願います。つまりヴァレンティンとファウストは同じ願いを持っていたことになり、互いがマルガレーテの「兄」でありマルガレーテを愛する者同士である二人は、正反対の立場にいると見せて実は、マルガレーテを基準としたときにほぼ同一の条件を持った存在であるといえます。ファウスト≒ヴァレンティンということです。ヴァレンティンこそがファウストの二面性を表す存在なのです。
「兄」という十字架を背負おうとするファウストと「兄」という枷から自由になりたいヴァレンティンは同じ条件を持ちながら、持つからこそ相容れない存在であり対立します。ファウストが表の存在であるとすればヴァレンティンは裏、ファウストを憎むあまり獣のように敵意を剥き出しにしてファウストに牙をむくヴァレンティンとはファウストの影であり、受け入れがたい闇の部分と捉えることができます。
 
「この男を殺さなければ、あなたが死ぬのです。殺して生きるか、殺さずに死ぬか。ですがあなたは生きるのです」
 
一幕最後にファウストとマルガレーテは善と悪、光と影は互いがいるから成り立つと歌います。これはつまり両者は同じものであり本来分断されるべきものではないということです。天使と悪魔が刺し違えてひとつになるこの物語において、ファウストの影として配置されたヴァレンティンを殺すことは、己の影の部分をも自らに取り込むことになります。ファウストはこのとき「俺はこんなことは望んでいなかった」と嘆きますが、「こんなこと」を望んでいたのはヴァレンティンでした。けれども実際、手を血で染めたのはファウストでした。ヴァレンティンの憎悪をも飲み込んで、ファウストは逃れられない破滅への道を進むことになります。
 
 
初演においてはファウストが乗り越える障害のひとつでしかなかったヴァレンティンは、再演においてファウストと対等な相手として舞台に存在します。二人は人間として互いと向き合います。なのでヴァレンティンは最後の対決のときにファウストのことを悪魔とは罵りません。憎きファウスト、と呼び、今際に呼ぶ声もまた「ファウスト」なのです。ヴァレンティンが抱いているのは悪魔への憎悪ではなくファウストへの憎悪であり、あの場面は人間と人間との戦いです。再演ファウストが人間の物語であるということを強く印象づける存在として、ヴァレンティンには初演以上の役割が課せられていたのであろうと考えます。なのでわたしはヴァレンティンがものすごく好きだし、好きだからこそ「もっとちゃんと描いてくれよ!」という気持ちでいっぱいなのであります。あとヴァレンティンが好きだっていう気持ちだけでここまで一息で吐き出せるわたしの執念もなかなかすごいものがあると思います。ヴァレンティンが舞台に出るととりあえず双眼鏡で見たよ…ヴァレンティン……ヴァレ………。
 
 
 
 
と、ここまでが舞台を観ただけでのヴァレンティン考なのですが、まぁせっかく原作も積み上がっていることだしいっちょ原作に出てくるヴァレンティンでも紐解いてみるか、と思ったところ、これがびっくりするほど登場が少なくて、そして出てくる奴どいつもこいつもろくな奴じゃないっていう。わたしの愛するヴァレたんはどこに……どこから来たの……?
そもそもゲーテファウストにおけるヴァレンティンはいきなり現れては恨み言を長々と述べ、ファウストに挑みかかって敗北し、臨終に駆けつけたマルガレーテに呪いの言葉を吐いて死んでいくという、その場面だけ見るとこいつなんだよって思ってしまうようなキャラクターです。もちろん当時の時代背景を考えたときに、婚前交渉で自らの身を破滅に落とすような妹は恥であり、愛憎入り交じった感情を彼が抱くのは分かるんですけど。暴力に訴えることでしか己の想いを表せない粗野で下品な男だな、という印象です。
 
「涙なんか流すのは止せ。お前が恥を忘れたときに、おれの胸は一番ひどいお突きをくらったんだ。
おれは目をつぶって死んで、立派な軍人として神様のところへ行くのだ」(岩波文庫第一部p269)

 

手塚ファウストにおいてはその流れをとても短くまとめているのと、王子という設定を持ってくることでファウストが奪うものをマルガレーテの処女性から地位や権力にまで拡大し、王子がファウストを敵視する理由に妬みなどの自然な感情を足したのはわかりやすいなぁと思いますし、佐々木は真砂への愛ゆえに不破へ嫉妬するなどもっとわかりやすい男になっています。わかりやすい故にあまり魅力的では無い気もしますが。
唯一ネオファウストの高田警部は、愛する妹を想う気持ちと自分の正義や信念の間で葛藤する姿が魅力的な男性として描かれていてとても好きなのですが、作品が未完結であるゆえに彼がどういう結末を迎えるのかということが描かれていないのが惜しいというか、気になってしょうがないのだよというか。ヴァレンティンはヒロインの兄という結構な立ち位置でありながらあまり掘り下げられていないキャラクターだと思います。だって登場してあっという間に死ぬのでね。*5
そんなキャラクターに手塚治虫は百物語において<不破が本気になるきっかけ>を与える存在として役割を与え、生きたい(死にたくない)という強い想いは人間を強くする、ということを印象づけるキャラクターにしていて*6空白が多いキャラクターだからこそ膨らませがいがあるんじゃないかな、とも思います。そして再演ファウストのヴァレンティンには新しいヴァレンティン像を作り上げる可能性があったはずです。あったのになぁ!?全く口惜しいったらない。
 

 

ネオ・ファウスト (朝日文庫)

ネオ・ファウスト (朝日文庫)

 

 

 

 そういえばネオファウストの終盤では、同一存在である坂根第一と一ノ関教授が同じ次元に存在してしまうパラドックスが発生し、どちらかのみしか存在し続けることができない=どちらかが消えなければならないという展開になっていましたね。ここまで妄想をした後だと、この展開に少しだけファウストとヴァレンティンを見つけられなくもないな、と思いましたけど、それだとヴァレンティンが時代錯誤の耄碌じじい扱い*7されてしまうのでやめておこうかと思います。だいすきだよ、ヴァレたん。YOUはもっとかっこいいはずなんだよ。

 
 

*1:ファウストを大胆に自分設定で再構築した問題作。面白いっちゃ面白いけどこれで読破は出来ない。

*2:「アマル、お前も楽しんでくれ」

*3:わたしのヴァレンティン贔屓からくる妄想です

*4:この場合はファウストを奮起させるため

*5:マルガレーテに罪の意識を植え付ける、ファウストに人殺しをさせるという重要な役割はあるけど

*6:初演においてこの要素はアバレとカスメが担っていた

*7:実際はそんなレベルではないのだけど……