読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

桃とラベンダー

天使の粉だけ 食べて生きるの

生れ出たいなら、自分の手でやってみろ――人間賛歌の象徴としてのオフィストフェレスについて

観劇

大楽を前に、毎日のようにファウストを読みふけっていたらあっという間に昼夜逆転をしています。困ったもんです。全てファウストが面白いせいです。

 

ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)

ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)

 
ファウスト〈第二部〉 (岩波文庫)

ファウスト〈第二部〉 (岩波文庫)

 

 

 

ファウスト 悲劇第一部 (中公文庫)

ファウスト 悲劇第一部 (中公文庫)

 

 中公の第二部が絶版なのつらい。。

 

先日こんなpostをしました。この台詞、舞台ファウストを観た方ならぴんとくるでしょうが、ファウストメフィストフェレスと出逢ったシーンでメフィストフェレスが言う台詞は恐らくここからきています。わたしがぱらぱら読んだところでは、手塚三部作のなかにこの台詞に似た個所が無いので、やはり作者はゲーテまで読み込んだ上であの作品を書いたのだと思います。

(読み落としているだけで手塚三部作のなかにあるかもしれないけど……)

 

 


ところで、舞台ファウストにおいてメフィストフェレスは悪魔としての要素と、であり、つまりマルガレーテの要素を入れたいのではないかと推察しているのですが、それとはまた別に、メフィストフェレスの生み出した人間としての分身*1オフィストフェレス、これは手塚三部作には登場しないオリジナルのキャラクターであるのだけど、わたしはこのキャラクターについてゲーテファウストにおけるホムンクルスオイフォーリンの要素を反映させて、かつ人間ファウストと比較するために設定したもう一人の人間であると思うわけです。これについては初演からずっと言い続けていたので、ちょっと書き残しておこうと思ってここに置いておきます。断っておきますけど勿論ただの妄想です。

 

舞台ファウストにおいて、ファウストが人間の人生を諦めずもう一度やり直す存在であるとすれば、オフィストはゼロから人間の人生というものを知る存在であり、ファウストが絶望を見たのであればその対称としてオフィストは希望を見る存在となっているのではないかということです。つまり、オフィストフェレスはこの物語における人間賛歌を体現する存在として配置されているのではないか、ということ。

 

ホムンクルスとはファウスト博士の助手ワーグナーが長き研究の末についに完成させた人口生命体です。岩波文庫の注釈ではこの小さな命の誕生にはメフィストフェレスが一枚噛んでいるとのことで(他では書いていないけど)、出会って早々にホムンクルスメフィストフェレスに親しげに話しかけます。「悪戯者の叔父さん」とか「悪い小父さん」とか。かわいい。ぜひ読んでほしい。ちなみにホムンクルスは手塚三部作においては「ホムンクルス計画」としてネオファウストの中盤に登場します。これがどう物語に関わってくるはずだったかは作品が未完であるために知ることができないのが残念な限りです。

 

ネオ・ファウスト (朝日文庫)

ネオ・ファウスト (朝日文庫)

 

 

ゲーテファウストの話に戻ると、このホムンクルスは作中でとてもかわいく話し出します。池内版だと「パパ!」とかいいます。かわいい!でもわたしは相良&手塚訳を押しますのでそこからこの子の言葉を少し紹介します。

「これは、お父さん、ご機嫌いかがですか。冗談ではなかったんですね。さあ私を優しく抱きしめてください。けれども、あんまりきつく抱くと壜がこわれますよ。物事の性質についていっておきますが、自然なものにとっては宇宙といえどもなお狭い。だが人工の物には空間を狭く仕切ることが必要です」(岩波文庫第二部p154)

 

「お父さん、ご機嫌いかが?やりましたね、気まぐれ仕事じゃなかった。さあ、いくらでもわたしを抱きしめてください。でも、きつすぎちゃだめ、ガラスがこわれるから。物事の性質はこうしたものです。『自然なものにとっては宇宙も狭い、人工の物は仕切った空間を欲しがります』」(中公文庫第二部(上)p161)


生まれて早々ものすごく賢く、かつよく喋る子供です。かわいくないですか?!「あんまりきつく抱きしめないで」ってところはどの訳もキュート!
ここでいう「自然なもの」とはファウストのことを指し、そして人工の物とはホムンクルスのことを指すと思われます。常に求め続けるファウストの欲望は宇宙ですら狭い、収まることの無い無限の可能性を持っているということをホムンクルスは語ります。そして、ホムンクルスは気絶しているファウスト*2を見つけ、そして彼の見る夢に触れ、感動してこう言うのです。

 

「たいした光景だ――」(岩波文庫第二部p156)

 

「すばらしい光景だ」(中公文庫第二部(上)p163)

 

これについて中公文庫の訳注ではこのように説明をしています。

 

ホムンクルスは、ファウストがいま見ている夢を、彼の鋭い感受力でそのまま具象的に見てとるのである。これは能動的な憧憬、行為への意欲において彼とファウストが通ずるものがあるからだろう。メフィストワーグナーには窺い知ることのできない世界である。

 

壜の中から出ることのできないまがい物の命であるホムンクルスは、ファウストの自由な命、尽きることの無い欲望の強いエネルギーに強く感銘を受けるのです。

 

舞台ファウストの話に戻ります。オフィストは悪魔メフィストフェレスによって生み出され命を授かりますので、立ち位置としてはメフィストフェレスと同じ位置にいます。つまり人間ファウストに理解を示す立場ではないのです。しかしながらオフィストにはメフィストのような絶対的な力もなく、ファウストに「今は人間なんだから」と言われるような、不確定な存在として舞台上にいます。生まれたてのオフィストには序盤自分の意思がなく(そしてそれが当然のように)メフィストフェレスの指示のままに動きますが、人間ファウストの生きる姿を見て行くにつれ、徐々に人間への憧れを募らせていく。その一方で、自らのアイデンティティが確立していないことに苦悩します。

そんなオフィストにわたしは、ガラスの壜の中でまだ完全に生まれ出でていないホムンクルスの子を重ねます。

「一方、私は世界の一部をめぐり歩いて、画竜に晴を点ずることを心がけましょう。そうすれば偉大な目的が達せられます。これほどの努力には相当の報いが授かりますよ」



そしてワーグナーのもとを離れふらふらしていたホムンクルスはやがて自分のなかに生まれた想いをメフィストフェレスに吐露します。それは、人間としてちゃんと生まれてみたい、という想いです。

「私は最上の意味において出来上がりたい、なんとかして早くガラスを破って出たい」(岩波文庫第二部p216)

 

ほんとうの意味でこの世に生れ出たいと思って。はやくこのガラスを突き破りたくてたまらない」(中公文庫第二部(上)p226)


この切なる願いによって、ホムンクルスは物語から姿を消す*3のですが(もうちょっと出てくるけど)、この美しいシーン、これが舞台ファウストにおけるオフィストの最期、メフィストフェレスと道を違えるシーンに重なってしょうがないのです。つまり悪魔が天使とひとつになり、まやかしがすべて無に消えるあのシーンです。

 

そしてそのオフィストの最期に重なるシーンでもう一つ思い浮かぶのが、オイフォーリンの最期です。 

さあ僕を跳ねさしてください、さあ僕をとび上がらしてください。どんな空中へもおし昇るのが僕の願いです、もうその願いに捉えられています」(岩波文庫第二部pp339)


(「無鉄砲はするな、無鉄砲は。向う見ずなことをして落ちたり怪我したりするな。そんなことをして大切な息子が私たちを破滅させてはならぬ」)


「これ以上地面にこびりついてはおられません。僕の手をはなして下さい、僕の髪の毛をはなして下さい、僕の着物をはなして下さい、それはみな僕のものです

 

オイフォーリンはほんのちょびっとしか出てきませんが、ファウストが神話の美女ヘレネとの間に設けた子供がオイフォーリンです。二人に愛されとても優しい世界、それこそガラスの壜の中で守られているかのような存在です。しかし所謂二次元美少女みたいなヘレネと人間ファウストの間に生まれた子供のオイフォーリンもまた非常に不安定な存在であり、虚実と現実の狭間に生きる彼は溢れ出る向上心*4、本能によって、ついにはその身を亡ぼします。

 

「海の上に轟くいかずちがきこえますか。それがあすこの谷々に反響し、ほこりと波をたてて軍勢と軍勢が衝突し、押し合い、へしあい、悪戦苦闘しています。そして死は天命です。それはわかりきったことです」(岩波文庫第二部p350


(「なんという恐ろしい、気味の悪いことだ。では死がお前の天命だというのか」)


私に、遠くから見ていろと仰るのですか。いいえ、私は憂いと悩みを共にします


(「我武者羅に危険の中へ!死は必定だ」)


「そうであろうとも――両の翼が左右へひろがる。むこうへ!どうしても!行かなければ!飛ぶのをゆるして下さい

 

そして母ヘレネの静止を振り切ってオイフォーリンは自分の想いを全うし、そして墜ちてしまうのです。

オイフォーリンは死にますが、死ぬことはこの虚実から解き放たれることでもあります。安寧に満足できずに飛び出すのは、父ファウストに似ていて彼の今後の悲劇を想像させますが、同時に物語のラストでファウストが神によって救済されることを想えば、同じように生きることへの情熱によって迎えたオイフォーリンの死にもまた救済があるのではと考えられるのではないでしょうか。

 

ホムンクルスもオイフォーリンも、偽りの人間として生を受けたことが彼らの物語です。不完全な存在であること自らに満足せず、「本当の生命に生成したい」柴田翔訳より)と願う存在です。この二人の人間への憧憬を抽出して新しく構築した存在としてオフィストフェレスを理解しようとしてみると、また違ったとらえ方が出来るのではないか――と考えていたら、友人から「オフィストフェレスの表情の演技は一貫しているんだよ!!」という話を聞いてアーーーと頭を抱えているところです。初演からこういうこと考えてるのになんでわたしはオフィストの表情、仕草、そういうのをちゃんと見てないの?なんで!?あ、かわいくん見てたからだ!!!かわいくんばっか見てて全然!そういう大事なところを見ていない!

 

果たしてわたしは大楽でちゃんとすべて見届けることができるのか?ファウストへの想いに決着ができるのか??*5そんな思いといっしょに、今から荷造りを始めようと思います。以上、わたしのなかでまとまり切っていない、オフィストフェレス論でした。最後に、「本当に生まれたい」と願うホムンクルスメフィストフェレスがかける言葉で締めます。ファウストという舞台が無事に千秋楽を迎えられますように。

 

「それはな、頼るんじゃなくて、君が自分でやってみるんでなくちゃだめだよ。―(中略)―いいか、君も迷いを重ねなくちゃ知恵はつかない。生まれたいと思うなら、自分の力で生まれたまえ」 (中公文庫第二部(上)p227)

*1:オフィストフェレスはメフィストフェレスのように満足に魔術が使えないうえ、ファウストから「今は人間なんだから!」と話しかけられている

*2:ヘレネに触れようとして爆発に巻き込まれ失神している。漫画でいうと朝日文庫P92でヒロンどっかーんの辺り?

*3:ガラスの壜から飛び出し、炎となって周囲を明るく照らしていく

*4:これはファウストが常に抱き続けている飽くなき欲望と似たものであり、人間はこれにより身を亡ぼすが新しい世界を見ることができるのもこの欲望によってである

*5:多分できない