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桃とラベンダー

天使の粉だけ 食べて生きるの

再演ファウストについて、大楽を前に


再演ファウストという物語について真剣にヲタク徹底討論した結果たどり着いた一つの仮説と、そしてそれに伴って補完したあらゆる事柄について覚書を書いておきます。全て妄想です。


この物語は副題「最後の聖戦」にあるように、全てのものを二極対立にしている。「天使」と「悪魔」、「魔女」と「魔法使い」、「欲」と「心」、「王族」と「庶民」、「兄」と「妹」、「男」と「女」、そして「神」と「人間」。この物語は、徹底的な人間賛歌であり、同時に無神論的な側面も持つ。以下、メモ書きです。当たり前ですがこれが正しいというわけではなく、わたしがこの物語を咀嚼するにあたって導いた仮説です。

 

 

 

王女マルガレーテ
マルガレーテがいくつかは分からないけど、まぁ大体18歳くらいとして(ちなみに原作では「でも14は越えてるだろう!?」って言うファウスト博士である。時代!)妹の映像シーンも玉置さんが演じているのにちゃんと意味を持たせると、恐らくファウストの死んだ妹も同じ年の頃なのでは。18歳で死んで、その魂はまた神の手に戻り再び生まれ変わり、マルガレーテ王女として成長していたとすれば。

一方のファウストは、妹が死んでから自らの処刑までの数十年を死んだように生き、そしてメフィストとの契約により「時空を旅する」ことでその数十年を巻き戻り、彼は妹を失ったときと同じ年齢に立ち戻る。そこで美青年ハインリヒと王女マルガレーテという、素晴らしいお膳立てのもとで二人の関係はもう一度やり直すことになる。

ファウストはかつて妹のために罪を犯し、マルガレーテは兄の罪を自分のためであるとして償いのために自害した。その悲劇の主人公たちをもう一度舞台に上がらせ、やり直させたときにそのとき人間は正しい選択ができるのか。

ファウストは冒険の途中で女性になることを余儀なくされ、女性となるがそのときに「マルガレーテの気持ちがわかった」と歌う。

このマルガレーテの気持ちがもしマルガレーテ=妹だとすれば、ファウストは同じ血が流れた女性の身体として、一時的に妹の身体になり妹の意識を追体験したとすると、ファウストが知ったのは兄を愛しているからこそ自らを責め命を絶った妹の苦しみと、自殺という(少なくともキリスト教的倫理観における)大罪の裏にある献身、自己犠牲。ここでファウストのマルガレーテへの感情が、単なる恋ではなくなる。だから自分の手柄にして彼女に自らを印象付けるよりも、まず一刻も早く彼女を救わなければいけないという思いで男達にヘレネをメネラス国へ連行させる。このときファウストの心にあるのはマルガレーテを救いたいという強い想いであり、それはもしかするとかつて救えなかった妹への想いであるのかもしれない。

一幕の最後にファウストがマルガレーテは、善と悪、男と女、光と影、朝と夜、全てのものは互いに成り立ちあっていると歌う。そして「別れと出逢い」こそが人の運命だと。順番的にも、別れとはファウストと妹の別れであり、出会いとはファウストとマルガレーテの出会い。そして、「二度目の人生 悔い残さずに 自分の力で生きよう」と続ける。

一度目の人生では互いが互いを思うあまり向き合うことが無かった兄と妹は悲劇的な結末を迎えた。二度目の人生において、ファウストはマルガレーテを今度こそ守ると決意し、そのためには力が必要であると気づく。そしてファウストは「この国の王になる」と宣言する。これは一幕でファウストが軽々しく言った「この国の王になってみせるよ」と、同じ意味合いの言葉でもその重みがまったく違う。マルガレーテを守るためにそれが最善の策だとファウストが信じているから、ファウストはここで迷いなくそう宣誓する。

けれど権力に取りつかれた王族たちに心を病んでいたマルガレーテは、ファウストが国王の冠を手にしたことに大きなショックを受ける。病気の妹のために盗みを働いたことと、マルガレーテのために国王になること(その過程に多くの犠牲を払ってでも)は、本質的には同じ過ちを繰り返している。だからマルガレーテはラストでファウストを拒絶し、またナイフを自分の喉元に突き付けるのである。ファウストが国王になるために犯した罪を、マルガレーテは自分の死でもって決着させようとする。

結局、二人は同じ結末を迎えようとするのだが、ファウストは自らの手でマルガレーテからナイフを奪い、彼女を諦めようとはしなかった。落下した燭台から引火し、燃え盛る教会の奥にマルガレーテが飛び込むと、ファウストもまたそれを追いかける。

 

 

メフィストフェレス
まず再演ファウストは、(というか初演から通して)神による悪魔メフィストフェレスの救済がテーマに有るのではないかということ。「ひとではなくなってしまった」存在のメフィストを人間として再び救済しようというストーリーは、この物語の持つ人間賛歌と合致するのではないか。オフィストがファウストという人間に惹かれ人間のためにその身を犠牲にするシーンでは悪魔と天使(善悪)が一つになることで人間の肯定を表現し、またオフィストとガブリエルが人間として救済される未来を暗示している。これがメフィストのラストシーンと構図的には同じなのではないか。同一存在なわけだし。つまりガブリエルの躯を抱いたオフィストは人間としてメフィストフェレスと対峙し、ファウストの躯を抱いたメフィストフェレスはラスト、人間として神に対峙する。

 

初演に比べ、再演におけるメフィストフェレスの登場シーンには威厳がプラスされていて、神に対抗し得る強大な存在であるというように印象を受ける。それを裏付けるように、天使はメフィストに跪き、一人の人間を救うように懇願する。しかしメフィストは人間には救う価値など無いと断じ、人間を強く否定する。そこへ神が現れて「何故人間を救わないのか。人間は素晴らしいぞ」と問いかける。
元は人間の心から生まれ*1人間という神の僕であるところの存在であったメフィストはいつしか人間の心の一部分にすぎない悪という存在と同化して悪魔という存在になる。人が自らの悪という心を受け入れられないが故に、責任を転嫁する矛先としての悪魔という存在に成り果てたことに、またそういった存在を作り出す人間の愚かさをメフィストは強く憎み、「人間とは救う価値の無い、愚かな存在である」と言い、またそんな人間を作り出した神のことも非難する。

それに対し神がひとつの賭けを持ち出すところから物語が始まるのだが、その賭けの内容は「人間にお前のためにその身を捧げさせることができるか。そうすれば人間はお前を悪魔と呼ばなくなるだろう。それができたら、お前の言うことを認めよう」というものである。お前の言うこと、とは人間が無価値であること。そしてそれは神の業の否定でもあり、つまりこれはメフィストいうところの「これは貴方(神)への挑戦だ」ということになる。神が作り出した人間の心から生まれた一つの闇、悪魔メフィストフェレスと神との対決がここから始まる。
そして神が選んだ人間は、ファウストという一人の男である。「俺はやっていない、盗んでなんかいない」と処刑台で見苦しく命乞いをする男は、自らの罪を他に転嫁して逃げようとする卑怯者として登場する。命乞いが叶わないと知ると、ファウストは自分の人生への恨み言を述べ始める。自分には友人も何もない、人間らしく生きられなかった俺の人生はいったい何だったのだろうか。ファウストは人間として生きてきたにも関わらず、「人間らしい人生」を知らないという。それなのになぜ人間らしい、と願うのか?とメフィストが問うと、ファウストは口籠る。

ファウストには病気の妹がおり、その妹の薬代を得るために盗みを始め悪事を積み重ねていったという過去がある。結局それは妹の知るところとなるが、妹はファウストを責めることはなく自分の罪であるといい自害し、ファウストはその妹の死の後、生きる意味を失い、ただ漫然と生きるために悪事を重ねていきそれがやがて国家財政を逼迫させるほどのものになる。*2

恐らく妹が死ぬ前も病気の妹のためにと生きてきたファウストには「自分のために」という人生がなかった。自分がやりたいことを、自らの意志で切り開くということ、そしてそれによって生じたあらゆる結果を自分のこととして受け止めるという当たり前のことが彼には無かった。もしもう一度やり直せるのならば、今度は自分の手で人生を切り開けるだろうか。そうすればその人生はきっと「満足のいく」人生になるだろう。「今度こそ満足のいく人生を送りたい」、と訴えるファウストメフィストは契約を持ち掛ける。3つの願いを叶える代わりに、もしも「素晴らしい人生だった」と自らの人生に満足したその暁には、その魂を奪うという契約である。魂を奪い、自由にすることができれば、メフィストの意のままにファウストを操ることができる。つまり神との賭けに勝つことが可能である。メフィストはここで「悪魔と呼ぶのをやめろ」という直接的な言い方をしない。人間を信じていないからである。

ファウストと契約したメフィストであるが、ファウストメフィストが思うよりずっと愚かであり、出会ったばかりの王女に一目惚れをしてあの子と仲良くなりたい、なんていう願いで貴重な3つの願いのうちの1つを使ってしまう。悪魔メフィストフェレスには愚かな人間の末路、この先起こるあらゆることが見えている*3ので、王女マルガレーテとの愛がこの先ファウストにどんな破滅をもたらすかを知っている。前述のとおり、二人は既に一度過ちを犯しているのだから。そして何より、マルガレーテという存在が神によってファウストのために用意された存在であると仮定すると(ガブリエル「あなたが生まれてきたのは、ある方の想いがあってこそよ。――ファウストよ」)、ファウストがマルガレーテに恋をするのは既に神によって決定された運命であり、神への挑戦者であるメフィストには抗う理由がある。当然忠告するのだが、ファウストは聞かないので契約を交わした以上結局やりたいようにやらせることになる。

その結果、上述したような悲劇を結果として繰り返すが、ファウストはその過程で一度も諦めることはなかった。愚かな人間の無様な生きざまではあったが、その真っ直ぐさはメフィストの凍った心を溶かし、炎に飛び込もうとするファウストを無我夢中で止めようとする。「これは神の裁きだ」と、運命を受け入れろと迫るメフィストに対し、ファウスト「今彼女を見殺しにしているのは俺たちじゃないか。神の裁きなんかじゃない」と叫び、メフィストを振り切って炎の中へ消えていく。ここで「神の裁きではない」と叫ぶことで、ファウストは神を否定し今ここにいるのは人間だけなのだと訴える。序盤に神に縋り泣いたファウストが出した結論は、純粋な無神論であった。

神のむごさを訴え、これが宿命なのか、と落胆し、絶望するメフィストのもとに瀕死のファウストが戻ってくる。ボロボロになりながらも、メフィストのもとに戻ってきたファウストは「愚かな男だと俺を嗤ってくれ」というが、メフィストは「お前は立派だった」とファウストの生きざまを肯定する。ここでメフィストファウストを肯定することは、人間そのものへの肯定であり許しである。人間は悪の心を持ちながら、それを否定し我々を悪魔呼ばわりする(自分の悪の心を他者に転嫁する)と冒頭に語ったメフィストだが、ファウストを通して人間の本質を知り、受け入れる。人間とは常に努力し続ける力があり、生きる限り迷いもがきながらも、自らの手で運命を切り開く力がある。神が用意した運命以上の物語を紡ぎ得る力が。そしてその救いようもなく愚かな人間は、この世界の創り主である神に高らかに宣誓する。「メフィストフェレスは悪魔なんかじゃない」と。

ここで神と悪魔メフィストフェレスの賭けの勝敗が決定する。ファウストメフィストを悪魔と呼ばなくなり、賭けはメフィストの勝利となる。そしてその結果、神はメフィストの言うこと、人間とは愚かで救う価値の無いものである、ということを認めることになるのだが、ここまでの過程でメフィストの想いが最初と変わっており、神に認めさせたいことは他にある。なのでメフィストは神に向かって叫ぶのだ。「これはメフィストフェレスが神に勝ったのではない。ファウストという人間が、自分の心の闇に打ち勝ったのだ」つまり神が初めに言った通り「人間とは素晴らしい」という結論に至るのである。

神が駒として自由に使い、掌の内で遊ばせている小さき存在は、けれども貴方が思う以上に素晴らしい存在だった。そんな風に思えるメフィストフェレスはもはや悪魔ではなく、一人の人間なのである。神と対等に話せる大悪魔はちっぽけな存在に成り下がってしまった。しかしそれは本当に、成り下がったと言えるのだろうか?メフィストの台詞にあるようにこの戦いは「ファウストという人間が、自分の心の闇に打ち勝った」戦いであり、そこに神も悪魔もいなかった。この世界は人間のものなのだ。悪魔が人間の心より出で*4るように、人間に信じ縋られることで存在を認められる神はやはり人間に忘れられることで存在する意味を失う。ファウストの最後の台詞は、この物語を支配する神に最後の最後で一矢報いた格好ではないだろうか。

ファウストメフィストを悪魔と呼ばなくなったことで、メフィストフェレスは救済される。メフィストフェレスが人間性を取り戻したこと、そしてラストの神の否定により、この物語は完全に人間の物語となったのだ。

そしてメフィストは、賭けの報酬として得たファウストの魂を「天国でもどこへでも好きなところへ」と解き放つ。メフィストの手で解き放たれた魂は、神の定めた輪廻を越えて自由に羽ばたいていく。それはファウストが、狭い世界で収まることの無い無限の可能性を秘めた男であることを意味し、そしてそれはファウスト=人間という存在についてもまた意味するものである。

*1:初演ではもとは人間の女である

*2:ここは何の説明もないけど初演と同じくオークラン大臣による汚職の濡れ衣を被せられているのでは

*3:オフィストやリリスの発言より

*4:初演でオフィストは「悪魔は人間の心の中にしかいないのか?」と吐露している。